◆学校の危機管理◆
 

■学校の危機管理能力(外部侵入者に対して)
■教育事件と危機管理 2000/07/26
■早く対策を! (平成13年6月8日大阪小学生殺害事件に接して)
■報道のあり方にひとこと言いたい!
■教師は、武器を持った侵入者から子どもたちを守れるのか?
■社会が変わらなければ学校の安全は保てない 2008/05/06
■開かれた学校よりも命が大切  2001年7月16日
■生兵法はケガのもと 2001年 7月27日
■教師の命は誰が守る? 2008年2月27日
■なぜやれないのか?
■危機管理マニュアル
■危機管理マニュアル2
■危機管理マニュアル3
■危機管理マニュアル4

■豊橋市の学校安全対策


三河武士がゆく
 
■学校の危機管理能力(外部侵入者に対して)

◆学校の危機管理体制

★用い方さえ誤らなければ一通のメールも、大きなうねりに変わるかも知れません。

文部大臣殿

「学校施設改善に関する意見書」

先年、ある公立の学校で、生徒が、外部から侵入した車と接触してケガを負う事件がおきました。これなど、まさにおこるべくしておこった事件と断言します。事件がおきる表面化しますが、事件として取り上げられないケースなど星の数ほどあります。常に、学校は、外部の侵入者によって危害をうけやすい施設であることを、認識しなければなりません。

学校という施設は、「明るく開かれた」学校をイメージしてか、元々外部からの侵入者に対して、防御するように設計されてはいません。ですから、「学校をまもる」という意味では、外部侵入者に対して、驚くほど無防備です。プール・体育館・視聴覚施設・コンピュータなどの教育的施設は整備されても、子どもをまもる施設整備が後手に回っているのが現状です。何か事件がおきてから、改善されていくのが、融通の利かない組織の悪い点です。しかし、これを助けているのは、まわりの目であり、声です。学校内の治安維持や学校生活の安全性を目玉にするより、進学率、教育的設備の充実、カリキュラムの先進性を売り物にしたほうが、保護者や生徒の目を集めやすいという現実もあります。
いつ、自分の子どもが危険にさらされるかわからないと思えば、保護者の目の付け所も変わっていくでしょう。

学校により格差がありますが、無防備に近い学校では、学校のガラスが数十枚も割られる、校舎の壁にペンキやスプレーで落書きされる、施設がこわされる、生徒や職員の所持品が盗まれるといった事件が当たり前のようにおこるわけです。学校は、安全であるということを前提として学校教育を考えることは危険です。事件がおきてから、保護者やマスコミが騒ぎ立てて、学校側の責任を追及する姿をよく見ますが、安心して、自分の子どもを通わせることができる学校かどうかを、しっかり調べて、危険が予測される場合は、学校だけでなく、教育委員会や文部省へ改善を要求することも必要でしょう。施設の改善に関しては、制度上、学校現場ではどうにもならないことが多いからです。

外部から、悪意をもって侵入する者がなくならない限り、防御施設の問題を解決しなければ、破損・盗難は限りなく繰り返されていくでしょう。この点に関して、学校関係者は既に気付いているのにもかかわらず、速やかな対応がなされないのは不思議でなりません。とくに学校設置者は、生命や財産を守ることを最優先した教育行政をおこなわなければならないと考えます。

平成12年7月9日

学校の危機管理

 
■教育事件と危機管理 2000/07/26(水) 

◆学校の危機管理体制(悪意をもった侵入者がいる限り)

学校という施設は、外部からの侵入者に対して防御を想定して設計されていません。高い塀に鉄条網を張り巡らして、校門をすべてロックして出入りするものをチェックするという光景は、「開かれた学校」のイメージや子どもへの教育的配慮を考えると不適切だからと思います。私もそれでよいと思います。

しかし、みなさんの善意でもって成り立っている施設は、外部からの悪意をもった侵入者にとっては、こんなに簡単に入り込める施設はないのです。侵入者たちとは、生徒や職員の所持品を盗む、窓ガラスなどの器物を壊す、車やバイクで校内を走り回る、飲食や花火などをして後かたづけをしない者たちです。

この者たちによって多くの人が身の危険を感じたり、実際に被害に遭ったり、多大なる迷惑を被っています。世の中は善意に満ちてはいません。悪意をもった者たちがいなくならない限り、対策を考えなければ、こどもたちを安心して学校に送り出すことはできません。

※お子さんが学校に行かれてるかたは、一度、登下校時の校門の様子や、日中や夜間の学校のようすを見に行かれたらよろしいかと思います。

学校の危機管理

 
◆学校の危機管理体制(車やバイクによる危険)

昨年のことです。ある学校で登下校時間に校内に進入してきた車が生徒と接触事故をおこしました。これは特異なケースではありませんし、事故が起きる危険性はものすごく高いわけです。

特に、登下校時の混雑した中で、車やバイクが走り回ったときには、職員が制止できない状況がおこります。また、部活動終了後の下校時には陽も落ちて暗くなっており、非常に危険です。「そんなときには、教師が何とかするべきだ」「警察を呼べばいいだろう」という声もあるでしょうが、職員も腕をこまねいて見ているわけではありません。実際に接触されたりしてケガを負っている人もいます(教師やるのも命がけ)。侵入者と激しく渡り合ったという話もごくたまには聞きますが、いずれにしても危険であることには変わりありません。もちろん警察にも通報しますが、目の前に交番でもない限り、パトカーが到着する前には、いなくなってしまいます。


学校の構造的な問題で共通しているのは、学校敷地内へ容易に関係者以外の人物が進入できるということです。前号でも述べたように、「開かれた学校」のイメージは大切なことですが、その危険性は、校庭での小学生殺害事件や誘拐事件などで強く指摘されています。対策については後述します。

簡単に進入した者が「侵入者」に変わったら大変です。今回は、車やバイクによる危険性をとりあげます。構造的な問題のひとつとして、車やバイクが生徒昇降口(生徒用の下駄箱があるところ)の前まで直接進入できるということを指摘します。進入が不可能な学校もありますが、私の知っている学校の多くが、なんの抵抗も受けずに簡単に昇降口前に横付けできます。特に、職員室やその他の職員が常駐している部屋から死角になっている場合、事故以外に生徒とのトラブルの可能性も高くなってきます。絶対に悪意をもった進入者が来ることはないと言いきれる学校ならともかく、危険性が少しでも感じられるのであれば、至急対策をおこなう必要があります。事件や事故は起きてからでは遅いのですから。

学校の危機管理

 
◆学校の危機管理体制(侵入者から生徒を守るために)

学校内での交通事故(関係者でない者との)、学校内からの誘拐、校庭での殺害事件がなぜおきるのでしょう。これは当事者の問題以外にさ、学校の危機管理対策の問題があります。

学校への進入口はたくさんあります。校門以外にもフェンスを乗り越えたり、垣根をくぐれば簡単にはいることができます。遅刻しそうになったときにこっそりと、なんていう経験はないでしょうか。はっきり言って、どこからでも簡単に進入できるんです。

[防止策]、

1.普段使用する校門以外は完全に閉鎖し、通用門には通信機材を備えた遮断式のゲート設備を施し、警備員を配置し、身分証明書を確認する。

2.校門以外からの進入を防ぐために、塀やフェンスを改善する。

3.登下校時には、職員が立ち番をする。(これはどこの学校でも多かれ少なかれ行われているはずです)

※緊急車両の進入を妨げないように配慮する。

[実践]

1.正門以外の出入り口の閉鎖。

2.正門から生徒昇降口に至る通路上に、カラーコーンを置いたり、ロープや鎖を張った。

※以上の2点を改善しただけでもかなりの効果がみられた。

3.頻繁に無断進入される時には、警察に巡回を依頼した。

4.不審者・不審の進入に対して、毅然とした態度で望み、職員各自の判断で(管理職には事前に了解を得て)とにかくすぐに警察へ連絡するようにした。いちいち管理職の了解を得ていては、緊急の時には間に合わない。それでも、間に合わないケースの方が多いくらい。

[構造上の問題点]

1.予算や手続きの関係とやらで、根本的な施設改善ができない。

2.構造的に応急処置もできない。

[人的問題点]

1.登下校時以外の開校時間中、外部からの出入りを監視できるような職員の配置はされていない。予算上、現時点では無理。

2.侵入者に対して毅然とした態度でのぞんだ場合の危険への対応策はほとんどされていない。

相手によっては、「逆切れ」をおこして向かってくる者がいたり、ナイフ・木刀・金属バット・エアガンなどを持っているおそれは十分考えられますが、職員はそれらに対する教育・指導はほとんど受けていません。いざというとき、体を張っても生徒や自分の身を守る術は、自分の力しかありません(現実)。そのときになったら、「話せばわかる」というせりふは全く通用しません。私もそんな場面に出くわしてしまったことがありますが、やっぱり怖いものです。空手でもやっとけばよかったなどと真剣に考えたものです。

3.対応する職員が決まっている。

「先生!何でいつも自分らだけなんですか!(怒りながら)」、これは、あ
る若い教師の本音です。というよりも私自身の気持ちを代弁してくれたような言葉でした。
建て前的には外部の人には管理職が対応することになっているらしいですが、いざというときにはそんなこともいってられません。気が付いた人が対応するのがいいんでしょうが、飛び出していって振り返ったら、いつも出てくる人が2〜3人だけなんてこともあるわけです。バイクの爆音が鳴り響いて校内を走り回っていれば誰でも気が付きます。このようなときは、なぜか、○○先生が、指導部が、体育の先生が(何で体育じゃ!)出ていくからいいだろうという雰囲気ができあがっています。

このような時に、「誰かが行ってくれる」ということで誰も動かなくては、どうなってしまうのでしょうか。後からぞろぞろ出てきても意味がない。一番はじめに出ていくのが一番いやなことです。でも、そういう教師がだいたいどこの学校にも数人いて、今まで何とか「もっていた」のではないかとと思います。

しかし、これからは、いろいろな意味で状況が違います。全職員が協力しあって全員出てくるような雰囲気がほしいですね。学校の中で、指導部だから、若いから、体育だから、出ていってもらうんだというような雰囲気の強い学校ははっきり言ってだめになっていきます。その雰囲気が、あらゆる教育・指導に反映するからです。不測の事態がおこったときに飛び出してくる教員の数が多い学校は信頼ができます。強弱は問題なのではなく、危険な状況でいっしょに立ち向かってくれることが重要なのです。

4.警察への連絡が遅れる。

現在は、なにがおきても不思議ではありません。常に最悪の事態を考えながら対応するべきなのに、大げさにすることもないだろうという判断で、警察への連絡が遅れて、後悔するようなこともあるわけです。110番通報はやりにくいかもしれませんが、なにを1番最初に守るべきかを考えれば、躊躇している場合ではないのです。

いろいろと思いつくままに問題点を指摘してきました。「そんなこともしていなかったのか」という声が聞けそうですが、「そんなことすら」していない学校が多いのではないかと言葉を濁しておきます。とにかく、早く文部省や教育委員会は対応するべきです。犠牲者が出てからでは遅すぎます。いつ、子供が学校の中で交通事故にあったり、事件に巻き込まれたりしてもおかしくない状況にあるということは理解していただけたでしょうか。この話に賛同していただける方は、できれば、学校を観察してもらい、学校や教育委員会などへ訴えかけていただきたいと思います。順序としては、学校に安全措置を申し入れることが最初ですが、学校の力は大きくありません。「学校に改善要求したけれども何ともならない」というのはそのためです。どんな組織でもよくあることですが、「組織の下からの要求」は通りにくいのです。施設の改善などは、行政の力でなくては、何ともならないのです。そして行政は、政治・マスコミ・世論に左右されることがあります。つまり、学校でも教育委員会でも何ともできないことは、外からの働きかけによる方が早く進む場合があるということです。

改善されない限り必ず第二第三の悲劇がおこります。

学校の危機管理

 
■早く対策を! (平成13年6月8日大阪小学生8人殺害事件報道に接して)


※平成13年6月8、ここにいても何もできないので、とりあえず、総理大臣・文部大臣・県知事・県教育長・市長宛てに以下のようなメール(時間的に多少の違いあり)を送りました。怒りに震えながら書いたので、意味不明の箇所もあるかと思いますが、ご容赦ください。

何もしないよりは、マシかと思います。
ご賛同していただける方がいらっしゃいましたら、何かして欲しいと思います。

親として、教師として、教育委員会として、行政担当者として、PTAとして、マスコミとして、サイトの運営者として、ひとりの人間として、難しいことは抜きにしてまず、やれることから始めてください。


「学校は安全な場所ではない!」
「安全対策は可能である!」
「もっと、危機感を持って対策を!」
「対岸の火事ではない。明日は我が身である!」


要望書

今、激しい憤りを感じ、体中を震わせながら書いています。
平成13年6月8日、大阪の小学校で児童8名が外部からの侵入者によって殺害されたことはご存じと思います。(14時現在)
平成11年12月21日に京都の小学校の校庭でおきた、7歳の小学生殺害事件の反省が全く生かされていないということです。
早急に対策を講じない限り、明日にでも同じような事件がおこるでしょう。

昨年以下のような意見書を、文部大臣・教育改革国民会議・愛知県知事・愛知県教育長・宛(宛先のメールアドレスも同様)にお送りいたしました。
今回は、総理大臣・文部大臣・愛知県知事・愛知県教育長宛にお送りしております。
ひとりの力では何ともならないかも知れません。だれにも読んでもらえないかもしれません。しかし、誰かに読んでもらいたい。

私と同様の考えをお持ちの方が必ずいると思います。

[防止策]

1.普段使用する通用門以外は完全に閉鎖し、通用門には警備員を配置し、身分を確認する。
2.校門以外からの進入を防ぐために、塀やフェンスを改善する。簡単に進入できる学校があります。

これぐらいのことは、他の教育関係費を流用してでもおこなうべきです。現在の日本の学校が、学校外よりも安全であるという認識は持たないことです。被害を受ける弱者が一所に多数集まっていることを考えれば、路上以上に危険であると考えた方がよいでしょう。

調査よりも実行しなくてはならないことがあります。
大至急管轄下の学校に対して外部からの侵入者に対する措置を講じていただきたい。
何よりも大切なものを守っていただきたい。
悲劇はどこでもおこり得ます。お願い申し上げます。

平成13年6月8日

学校の危機管理

 
■報道のあり方にひとこと言いたい!

★心ないことをしているマスコミ関係者へ告ぐ

マスコミよ!もういいだろう。そこまでするなよ。殺されたり殺害現場にいたのが、たとえ自分の子どもであっても、容赦なくマイクを向けるのか!なぜ、事件直後の大きな衝撃を受けている子どもたちに取材をするのか!商業新聞とはいえ、気持ちを思いやることはできないのか。思いやっても行動に移すことができないのか。心が無くても立派なジャーナリストか?私はそうは思わない。もうそこまでしなくてもいいだろう。もうじゅうぶんではないか。なぜ、そっとしておけないのか!

★心あるマスコミ関係者へ告ぐ

あなた達は、「心的外傷後ストレス障害」を熱心に取りあげることがあるが、心に傷を負ったばかりの子どもに対して、今後あのようなことをすることを止めさせていただきたい。表面上は動揺していなくても、心にはしっかり傷がついていることもある。その判断はあなた達にはできないはずだ。このようなときは、そっとしておいてあげるのが人としての情けというものだ。心ある人たちには、わかっているはずだ。

学校の危機管理

 
■教師は、武器を持った侵入者から子どもたちを守れるのか?

訓練を受け、拳銃や警棒を持った屈強の警察官でさえ、刃物で刺し殺されたり、金属バットや木刀で殺されそうになることがある。

素手の教師にどれだけのことができようか。だいいち、教師は相手を取り押さえたり身を守る訓練を受けてはいない。また、小学校は女性の教師の割合が高い。

「教師が楯になれ」ということだとしても、教師が倒れた後、誰が子どもたちを守るのか。

保護者にしても同様である。

「すぐに警察を呼べばいい」という意見もあるだろう。

しかし、私の経験からしても、警察官が現場に到着するのは、事が終わってからのほうが多い。繁華街にある学校ばかりではない。必ず警察署や交番が近くにあるわけではない。学校付近に警察官がいないと思って対策を立てなければ、意味がない。

結論として、今のままでは、教師は子どもを守ることはできないのだ。
誰が考えてもわかることなのだ。

「話す気もない人がいる」
「話してもわからない人がいる」
「わけもなく人を殺す人がいる」
そして、「教師や警察は子どもを守ることができない」

このことを、政府・文部科学省・教育委員会はどのように心得ているのだろうか?

どのようにして子どもたちを守るというのか?私には、まったくわからない。

学校の危機管理

 
■社会が変わらなければ学校の安全は保てない 2008/05/06 

女子生徒が下校時に不審者に襲われそうになることが度々ありました。春が多いような気がするのですが、自動車で追いかけられたとか連れ込まれそうになったといった内容です。

このようなときは、当然警察には警戒を要請しますが、登下校のすべての通学路を警戒するのは無理な話です。生徒の下校時の通路を指定して、生徒指導部で見回るようなこともありましたが、頻繁に起こるときには、職員が交代で巡回を行ったりしました。

犯人は凶器を持っているかもしれません。当時、それぞれに教師たちなりに防御の手段を考えました。いざとなったら生徒と自分の身を守る手段は他にないからです。そのときは誰も助けてはくれません。

事件が起こり犯人が逃走中であったり、不審者が頻繁に出没するようなときは、小学校の教師が下校時に引率するような事がありますが、いざというときにはどうやって子どもたちや自分のみを守るのでしょうか。心配になるときがあります。

 

ある時期、学校の周囲を自動二輪に二人乗りをして木刀を振り回しているのを見たという情報が何件かありました。たまにあることなのですが、警察に通報してもパトカーが到着するのは連中が行ってからです。このまま放置しておくと生徒が危険だということで、近所の現れそうな場所で張り込みをすることになりました。なんとか警察に捕まえてもらって二度と学校に来させないという気持ちが強かったのですが、来たらどうしようという気持ちもあり、複雑な思いでした。相手は木刀を持っているわけですから。

警察は常時学校をガードしてくれるわけではありません。これは仕方がないことです。また、警備員の配備は予算の関係でできないようですので教師は学校を自力で守る必要があります。

私立学校に多いかと思いますが、複数の武道や格闘技の達人が教師であったりして頼もしい学校もあります。公立にそのような猛者が少数ですが存在します。彼らが学校に侵入した者達を撃退したという話を聞くことがあります。

しかし、いざというときには、その他多くの教師は何の心得もなく、素手で立ち向かわねばなりません。凶器を持った相手に対して、被害者が出る前に取り押さえることができればベストですが、被害者が出た後で取り押さえたという話も良く聞きます。

プロでも難しい問題点なのではにでしょうか。要人警護などで一人を守るために複数でプロが守るのですから。素人の教師が少人数で大勢の子どもたちを守ること自体に無理があります。

 

学校の敷地内を複数のバイクが走り抜けていくということが度々起こりました。このままではいつか事故が起こるということで、指導部では校門の施錠を求めますが、様々な用事での出入りがあるために不可能だとのことでした。せめてバイクの通路に鉄の鎖を張ってほしいと要求してもすぐにはつけてもらえませんでした。やはり通用車がいるからとの理由だったと思います。頻繁にバイクが走るため、何回か要求してやっと鎖が付きました。それ以後バイクが走り回ることはなくなったか、激減したと思います。事故がなかったから良かったものの、もっと早く対策をしてもらいたかったです。
 
詳しくは書きませんが、卒業式・体育大会・文化祭・祭りなどの巡回などで、似たようなケースが再三ありました。このような経験をお持ちの教師は少なくないと思います。校内暴力が盛んであった頃は頻繁に教師が危険に立ち向かっていくことももっと多かったと思います。犠牲者も出ています。

学校を開かれた場所・安全な場所というイメージはどこで作られたのでしょうか?何か政治的な意図でもあるのでしょうか?全く理解ができません。危険な体験をせず、弾の飛んでこないところにいて、理想を振り回していても何も解決できません。

学校であっても路上と同じようにいつ事件や事故が起きてもおかしくない空間であることを教師も生徒も保護者も国民全体が意識して、緊張感を持っていなければ、学校を舞台とした悲劇は繰り返されるばかりだと思います。社会と切り離すことができないのです。社会全体を変えて行かなくては、学校の安全を保つことはできません。


学校の危機管理

 
■開かれた学校よりも命が大切  2001年7月16日(月)
 

某大手新聞社(地元の新聞社ではありません)へ電話をして豊橋の学校安全対策に関する新聞記事について疑問を抱いたので、質問したことがあります。
 
以下要約

質問:わたしが知っている重要な内容が書かれていないが、どうしてか?
回答:スペースには限りがあり、記者が判断して書く。

質問:それでは、書かれなかったことは重要ではなかったということか?
回答:そのように受け取ってもらってよい。

質問:門扉の閉鎖以外に警備員の配置など、積極的な意見が出ているように思うが、これは重要なことではないのか?
回答:詳しいことはその場に居合わせていないのでわからないが、警備員を配置したところで、なくなるわけではないという考え方もある。
(誰の意見なのだろう?)

質問:それはあなたの考えではないのか?(情報を操作しているのではないかということ)たとえ、ゼロにすることができなくても、少しでも安全な方向に近づけることができるのではないか。開かれた学校よりも大切なことがあるとおもうが。
回答:そのような質問は、ここではなく、教育委員会に直接聞いてほしい。
(もっともなことだと思ったが、私は記事に対する疑問を投げかけているのだ)

(最後にひとつ)

質問:以後、東三河や三河などの地域の自治体による学校安全対策を特集する考えはないか?周辺の自治体がどのような取り組みをしているかは、親にとってもたいへん関心があることだが。
回答:今のところそのような考えはない。
 

★開かれた学校のイメージはそんなに大切なことなのだろうか?学校に警察官(警察OB含む)や警備員を配置することを忌み嫌う人たちがいるということか?

保護者の立場からしてみたら、子どもの命を守るためなら、警察でも自衛隊でも何でも来てほしい。校門は頑丈な鍵をかけてすべての門を閉め切って欲しい。イメージなんかよりも子どもの命が大切だと言いたい。

何が大切なのか?

 
★わかってはいたことであるが、私達が接する報道は、膨大な情報の中から、送り手の判断によって取捨選択がなされたものだ。これは、時間や紙面のスペースの制限により仕方のないことだ。しかし、情報の受け手である我々が、その一部の情報をすべてであると勘違いすることで悲劇が始まることを肝に銘じておかねばならない。

お金や時間に余裕があれば、複数の新聞を読むこともひとつの手段であるが、新聞社が足並みをそろえているときには、どうすればよいのであろうか。受け身である我々は、ただひたすらにマスコミの良心のみに期待していればよいのか?

毎回ではないが、これはおかしいなと思ったら、質問や確認のメールや電話をしてみることにしてる。あちらも忙しいから、いちいち関わってはいられないということで、黙殺されることもしばしばあるが、それでも懲りずにやってみることである。なかには、筋の通し方がわかる人もいる。

大勢が決してから「実はわたしもそう思っていた」と、手をあげるようなことだけはしたくはない。何もせずに、文句ばかり言っていると、そうなってしまうのだ。陰口をたたいていても仕方がない。

学校の危機管理

 
■生兵法はケガのもと 2001年 7月27日(金)

※【rakuza】さんの書き込みより転載

私の警備経験から申しますと、防具等で防ぐことはかなりの熟練が要るのではないでしょうか。
相手が狂人であればことさらです。相手に立ち向かうには、かなりの精神的強さも求められます。
また、子供達をかばいながらの応戦は余裕がありません。
また、学校に警備員を常駐させても同じことなのです。
彼らには、「緊急避難」「正当防衛」「現行犯逮捕」しか認められておりません。(警備業法)
また、公務員と異なり、低賃金であり保障も少なく、身を張ってまでの警備は望めません。

こうなりますと、警察との連携しかありません。
やはり、防犯ベルをそれぞれが持ち。(可能なら子供達にも)オオカミ少年であっても、勇気を持って都度、発報させることと思います。また、聞きつけた者は110番する。この申し合わせを、十分しておくことです。
教師の方々も携帯電話等、お持ちの方は多いはず、「誰かが110番するであろう」でなく、聞きつけた者は進んで、110番通報することが涵養と存じます。

それと近隣に鳴り響くサイレンなども良いのではないでしょうか。
警備は誤報から始まります。誤報に対応しつつ、「またか」ではなく、緊張を持続することが大切です。

また、近隣、保護者、児童、生徒に防犯ベル、非常ベル、サイレンなどの音を熟知させることも必要でしょう。
電話、携帯電話の呼び出し音などとの区別も必要です。

「見知らぬ者」を見たら、防犯ベルでよいと思います。

※青の太字は管理人による
 
管理人コメント
警備経験者から貴重なご意見をいただきました。いざというときの備えは怠らないようにした上でも、実際に危機に遭遇したとき、瞬時に判断して対応することの困難なことがうかがわれました。私のわずかな経験から感じたことも同様に、その場になってみないと人間はどのように動くことができるか、わからないということです。そのためにも、できる限りの備えと訓練はしておきたいものです。通報する訓練、逃げる訓練、闘う訓練いろいろあります。

警察との連携と110番通報に関して
警察との連携絶対に必要です。しかし、通報しても、警察官が到着するまでには時間がかかります。警察官到着までに何ができるのかを考えるべきです。

教員が管理職の了解を得ずに自分の判断で110番することは少ないと思います。事件発生後警察に連絡が行くまでにどれだけのロスがあるでしょうか?警察だけではなく消防・救急車の要請など、緊急事態発生時には、できる限りロスをなくする方法を取り決めておくことが大切です。私は、現職のとき警察への通報はよくしたものです。しかし、近所に警察官がいない限り、すぐには来られないものなのです。
 
■教師の命は誰が守る? 2008年2月27日

校内を走り回るバイクの爆音を聞いても、教師以外の怒声を耳にしても、あきらかに何かが破壊されている音を聞いても顔を出さない教師もいるわけです。振り返ってみると二〜三人だったり。指導部に任せておけばいい、管理職が対応すればいいと思っているのでしょうか。

私の場合、そのようなときに出て行くのは怖いわけです。びびっているわけです。相手が何を持っているのかわかりません。しかし、生徒が危険にさらされるおそれがあれば、何か行動しなければならないでしょう。ひとりでも多くの教師が対応してくれないと、あほらしくてやってられなくなります。

現職のときに自動車の運転以外で、身の危険を感じたことは何回かあります。命がけで教員の仕事をするのはすべての教員に言えることだと思います。実際に犠牲となった人もいらっしゃいます。教師は命をかけて子どもをまもる覚悟もしなければなりません。そして、教師も自分の命を守らなくてはならないのです。信頼できる同僚以外、誰も守ってはくれません。

学校の危機管理

 
■なぜやれないのか?

テレビのニュースで聞きました。
愛知県や三重県の国立の小学校に警備員が配置されたそうです。良いことだと思います。
しかし、公立ではおこなっていないそうです。私立はわかりません。
(※他の都道府県でも実施されている学校もあるようです)

今日にでも、同じような事件がおこらないという保証はありません。
また誰かが殺されたり、傷つけられたらどうするのでしょう。

生命に関わる問題です。なぜ、すぐに対応ができないのでしょうか。
文部科学省はどのような対応を指示したのでしょうか?
教育委員会は、どれだけ現状を認識しているのでしょうか?

「守る」ということを考えるのであれば、常に最悪の展開を予測して対応策を考えなければなりませ
ん。凶器を持って暴れている者をどうするのかという問題です。

「取り押さえる」
「生徒を待避させる」
「警察へ連絡する」

もちろん必要なことです。このための設備を整え、訓練をするべきです。

しかし、前項にも書きましたように、悲劇がおこる前に警察が奇兵隊のように登場する確率がどれだけあるでしょうか。「取り押さえる」といっても、女性の教員が多い小学校や保育園・幼稚園でどれだけのことができるでしょうか。元女子スポーツ選手が自宅に押し入った暴漢と格闘の末に取り押さえたというのは、本当に特殊な例だと思います。

また、養護学校などの特殊学校でも、小学校・幼稚園・保育園と同様に、弱者が一箇所に集まっております。なにか、対策がなされているのでしょうか。

教師が楯となり、死んでも子どもを守りきることができるのでしょうか。

何が邪魔をしているのかわかりません。どうして、すぐに対応ができないのでしょうか。
やっている地域や学校は、あります。できないはずがないのです。

「誰が悪いのか?」と聞きたくなってしまうのは、私だけでしょうか。

学校の危機管理

 
■危機管理マニュアル

ある飲み屋での会話

わたし:「自分の頭で考えて行動できる子どもを育てたいですね」
先生:「うん。でも、そういう教師が少なくなってきているのも確かだよ」

※先生は教師生活20年以上のベテラン教師である(架空の人物)

わたし:「なかなか良いんじゃないかと思うんですが、岡山県教委の危機管理マニュアルがあるんです」
先生:「でも、そんなものに頼らなければならないというのも情けない話じゃないか」

わたし:「けっこう、細かなところまで目が向けられていて、対処法が書かれているんです」
先生:「マニュアル通りにできるのか?できたとしても、事件や事故はマニュアル通りにはおこ
らないからなあ」

わたし:「それに、法律や判例なども書かれていますよ」
先生:「それは勉強になるなあ」

わたし:「マニュアルを頼りに育ってきた教師が多くなってきているとしたら、マニュアルを作っておかなければ、動きませんよ。いや、うごけませんよ」
先生:「うん・・・」(あまり納得していない様子)

わたし:「だって、やりすぎたことは大きな問題となるけど、なにもせずにいても、大した問題にはならないんですから。できる限り動かないほうがいいんですよ」
先生:「うん、うん」

わたし:「わたしは、マニュアル作りには賛成です。これがあるのと、ないのとでは大きく違いますよ。安心できるというか、自信をもってやれる」
先生:「もちろん、ないよりはあった方が良いと思う。しかし、危機管理は、勘の鋭さとか行動力がなければ。そして、臨機応変な対応ができる柔軟性が備わっていなければならないんじゃないか」

わたし:「それは、わかります。」
先生:「マニュアル通りにやっていては、それにとらわれてしまって、かえって機動性を失いかねないよ。マニュアル通りやらなければならないという思いにとらわれて、機を失うこともある」

わたし:「それは、訓練と教育で何とかするしかないんじゃないですか」
先生:「しかし、それは資質だから・・・」

わたし:「難しい問題ですね」
先生:「難しい」

※しばらく考え込んで

わたし:「まあ、一見の価値はあると思いますから」
先生:「参考にさせてもらうよ」

 

※岡山県教育委員会 学校教育振興課ホ−ムペ−ジ「危機管理マニュアル」
http://www.pref.okayama.jp/kyoiku/gakko/manual/index.htm

「常に最悪のケースを考えて行動しなければならない」
「きめ細やかな配慮と果断な行動」
「『ほうれんそう※』の徹底」
※報告・連絡・相談

危機管理に関するマニュアル(手引き)は、各学校に以前から存在していますが、教育委員会がここまで詳しく作成し、しかも、HP上で公開しているのは珍しいというか、貴重だと思います。このような積極的取り組みが、開放的な風潮を生み、周囲の協力を得ることによってさらなる発展を遂げていくのでしょう。

学校の危機管理

 
■危機管理マニュアル2

上記の「危機管理マニュアル」では、マニュアル(手引き)の是非ではなく、ありかたについて考えてみました。
マニュアルのない学校はないわけです。なかでも、危機管理に関するマニュアルは、防災なら総務部、校内の病気や事故は、保健厚生部というように各分掌ごとに作られています。どの学校であっても同じような危機管理対応をするのが望ましいのですが、学校によって多少の違いはあります。

とくに、生徒指導上の問題や対外的問題(外部侵入者など)への対応に関しては、各校各様だと思います。きめ細かい対応を心がけてマニュアルを作っている学校もあれば、基本的な事項にとどめて、臨機応変に対応する学校もあります。

詳細なマニュアルを作っていない学校の場合、以下のような理由が考えられます。

「出たとこ勝負でなんでもありの学校」・・・やる気があるのか、ないのかよくわからない
「教師の個々の力に頼っている学校」・・・これで今までは何とかなってきた
「よほど生徒が落ち着いている平和な学校」・・・やる気に関わらず、必要がない

しかし、「訴訟により最終的な問題解決がはかられる風潮の高まり」「採用数の激減により、幅のひろい人材登用が不可能となったこと」「いわゆるよい子・普通の子の問題の対応に追われるようになったこと」などを考えていくと、これまでのやり方が今後通用するとは思えません。

必ずしもマニュアル通りにできないとしても、文部科学省や教育委員会は、ある程度の方向性を示し、さまざまなケースに対応できるマニュアルを作成するべきだと思います。

学校の危機管理

 
■危機管理マニュアル3

わたしが気に掛かることが3つあります。

1.マニュアルにとらわれすぎて、機を失わないように。

たとえば、緊急の事態が発生したとき、学校長(または、教育委員会)に報告して指示を仰ぐことになっていたとします。報告はしたが、指示を仰ぐまでの時間がない時にどのように対応したらよいのか。これは、当事者である教員が判断するのですが、融通が利く人ならよいのですが、頭がカチカチの人だったらどうでしょうか。

2.マニュアルが絶対か。

結果を問わず、マニュアル通りに行動することを求めるのか、それとも、結果がよければそれでよいのか。基本的な方向性はあるのか。

たとえば、失敗したのにも関わらず、「マニュアル通りに行動したから特に問題はなし」とするのか、よい結果が得られても、「マニュアル通りに行動しなかったから、処罰の対象とする」のか。

緊急のときは、ケース・バイ・ケースで対応したらよいと思う人もいるかもしれない。だが、基本的な方針を決めておかなくては、緊急の時には特に判断に迷うことになる。

3.マニュアル通りに行動しない教員への対処は?

たとえば、家庭内で虐待を受けていると担任が認めて、上司に報告して指示を仰ぐが、担任で何とか対応するように指示されたとします。担任は、親への指導を含めた対応を再三したのにも関わらず改善がみられなかったときに、担任はどうするのか、上司はどうするのか?

◆あくまでも学校内で何とかしましょうという上司の考えに従わずに、独断で他の関係機関にうったえる担任はどうなのか。

◆他の関係機関にうったえることをきめた上司に従わずに、自分の力で何とかさせてくれと、主張する担任はどうなのか?

◆最初から上司(教育委員会・他の機関)に報告せずに、「慎重に対応していた」「そこまでひどいとは判断できなかった」という言い訳をして、結果的にほとんど何もしなかった担任(管理職)はどうなのか。

細かなことを言うなという意見もあるかもしれませんが、実際に現場でおこりうるケースは限りないわけです。そのいずれのケースにも対応できるだけのことをしておかなければ、危機管理にはならないのです。これは、学校だけではなく、他の組織においても全く同じことが言えます。わたしが気に掛かるたった3つのことをはっきりさせなかったがために、組織の機能が崩壊したケースはいくらでもあります。旧軍隊(陸軍・海軍)などはその典型といえます。

いずれにせよ、マニュアルを運用するのは人間です。
一番大切なのはマニュアルにこだわらず、とらわれすぎずに、そのときどきに応じて、現状を把握し、的確に対応をすることです。
それができてこそのマニュアルです。


学校の危機管理

 
■危機管理マニュアル4

マニュアルに限らず、大きな問題を指摘しておきます。

「《その瞬間》に何をなすべきか」がはっきりしていないことです。はっきりと教員にしめされていないわけです。

わたしが言う「その瞬間」とは、まさに「事が起こっているその時」をさしています。

この場合、マニュアル通りにいかないこともあります。相手があることですから当たり前ですが、ある意味で、ここが最も状況判断力と行動力を要求される場なのです。

わたしは、昨年6月、教育委員会のかたに、この点を伺ったところ、「その場(あるいは学校)の状況に応じて、適切な対応をするしかない」「明確な指針を定めることは考えていない」というお返事をいただきました。

「あなたは現場がわかっていない」「あなたの知っている現場だけではない」
そのあと、わたしの見聞きした事例(中には生命にかかわる実例を挙げた)をいくつかあげてお話ししたが、「極端な話だ」「他県のことでしょう」「知らない」という言葉が返ってきた時にはおどろきました。

※教育委員会が現場の実態を知らないのが事実であれば、現場の学校長レベルから情報が上がらないということを意味している。どちらが本当かはわからないが、何れが事実であっても大問題なのではないのか。

教育委員会は、「そうならないように指導し、問題がおきたら、あきらめずに対処していくことが大切」だという内容をくり返しました。

わたしは、「そんな当たり前のことを聞いているのではなく、今目の前でおきていたときにどうするのかを聞いているのだ」ということを伺いたかったのですが、上記のようなことで最後まで、答えを頂戴できずに話は平行線のまま終わってしまいました。

その後メールをお送りしましたが、お返事をいただくことはありませんでした。これが教育委員会の答えだと判断しました。

今現在、どのような指導計画が立てられているのかは知りません。

NHKのテレビではないが、まさにその瞬間に大事なことが動く(決まる)わけです。

この重要な瞬間にどのように対応したらよいのかを明確にしておかなければ、わたしのようないわゆる「マニュアル世代」の教員の中には、動きたくても動けない。状態におちってしまい、結果、「何もしなかった」ということになるケースもじゅうぶん考えられます。

文部科学省にしろ教育委員会にしろ、まずこの部分をクリアしてからマニュアル作りをしていかないと、「仏作って魂入れず」ということになりかねないのです。たいへん難しい問題だとは思いますが、それを解決してこそ、教育行政といえるわけですから、もっと頑張って欲しいと思います。

学校の危機管理

 

三河武士がゆく