東京路上ふらり散歩
「なんでもない江東区編」
文/笠井和明
写真/岡田知子

野宿すら出来ない都市の姿はまっとうな都市の姿ではない。貧困すら認めない近未来都市がとてつもなくグロテスクなよう、そこにあるべき人、生活の姿を覆い隠すことが決して美でもなんでもない。
東京は都市生活者の街である。そこに働き、そこで遊び、そこで生活する日々の暮らしが凝縮した街である。もちろん、そこには大金持ちもいる、そして、家すら持てない人々の群もいる。東京は様々な階層が並存していける街であるべきであり、特定の階層が支配する街であってはいけないのである。
僕らが古い町並みや人々の生活を発見するため東京の街をぶらぶらするのは、実はそんな批判観点が原動力となっている。新宿中央公園のテントから都庁を始めとする西口の超高層ビル街を見上げる対称を人々は好むが、そんな光景は東京には幾らでも存在している。
青海にあるパレットタウンの大観覧車が運河の向こうに見える場所にかつての埋め立て地の代表である夢の島を擁する新木場の街がある。ここはその名の通り、貯木場や木材工場が並ぶ木材の香り漂う静かな街である。開発の手が伸び、いつのまにやら都心の観光スポットになった臨海副都心部の空虚な喧騒とは対称的に、木材産業の街はただひたすら働き人の手によって守られて来た。「海の日」ともあって海が見渡されるこの湾岸もさぞ家族連れで賑わっているだろうと思い気や、釣り人がちらりほらりといるぐらいで、みわたす限り何も、ない。木材屋の猫達が日溜の中たわむれ、安眠をむさぼり、そんなほのぼのとした時間がここにはひたすら漂っていた。雑草が伸び、ガラクタや自転車が散乱している歩道や空き地、橋の下の雨避けには野宿のおっちゃんがいたであろうと思われる毛布や生活物資の抜け殻が雑然と並び、工場の排水口からはチロチロと水が運河に流れ落ちる。整地作業を行なう空き地の鉄門の上には使い古しの皮の軍手がカサカサになりながら空を指さしている。どことなく殺風景で、無骨で、雑然としている懐かしげな風景は、産業地帯の原形を見るようだ。それは、ひたすら頑固に、コツコツ、黙々と日々の仕事を繰り返す。町並みもそれに合わせた町並みとなり、美観など細かいことは気にせず、ひたすら機能的な町並みとなる。
西に臨海副都心、東に東京ディズニーランドと大きな観光地に挟まれたこの地帯は、再開発という言葉とは無縁に、しかし、それでもさびれる事もなく、独自の都市空間を地道に作りあげている。そんなに古くもなく、そんなに新しくもない、良い意味でどこにでもありそうな中途半端な都市空間が僕らに安らぎを与えてくれるという事は、それだけ魅力のない都市に東京がなり下がってしまった証拠のような気もした。
新木場から湾岸沿いの道を歩き、辰己の森近辺で休息を取りながら、東雲、そして豊州に入る。江東区の沿岸よりの地域は、戦後から高度経済成長期までの時空にタイムスリップしたような空間があちこちにある。全体的に開発の手は伸びているのだろうが、開発という化け物は古くからある町並みを一変させることは出来ず、その土地、土地の歴史=人々の生活に呪縛される。この攻防こそが実に楽しく、そして、頼もしい。東雲の大きな団地の脇に戦後のバラック小屋をおわもせるかしいだ木造住宅がポツンと建っていたり、遊歩道のベンチには井戸端会議の生活臭がいまも残っている。豊州の雑貨屋は既に営業停止で自動販売機だけだが、古びた建物と看板だけはそこに何があったのかを示し、銭湯もまた駅前の一角にデンと居座っている。月島や谷中のような下町街の代表格や大正アールデコ建築物などに比すれば、まさになんでもないのであるが、そのなんでもなさが、誠にたまらないのである。戦後バラックのあけすけさは、高度経済成長期の機能美につながって一体感、連続性がどことなくあるが、これがバブル期の「ピカピカ見てくれ建物」ともなると、明らかに都市の形が断絶されている。その断絶される前の今は懐かしき景色は庶民生活が醸し出す安心感を人々に与える。なんでもない事は実は素晴らしい事である。
 
運河の街というのは水難の街という事でもある。どこでもそうだが、川辺や低地には貧乏人が住み、高台には金持ちが住む。水難という言葉が河川工事技術の発達であまり聞かれなくなってからは、ウォーターフロントだか何だか知らぬが河川、運河、沿岸にも大きな高級マンションが建ち並び、貧乏人が住む専売特許の場所も金持ちに追い立てられている。もちろんそれに頑強に抵抗し続けている家々もある。枝川から塩浜、古石場から木場にかけての運河沿いにはそんな頼もしい家々が今も存在している。もちろん、当の家主達は抵抗しているつもりはなく、建て替えるにも金がなく、そうこうしている内に時間が経ち、回りが勝手に変っていったにすぎないのだろうが、客観的に見ればこの貧弱な家々が巨大な都市開発という化け物に抵抗しているように見えるのがおかしなところ。そもそも、本当の抵抗なんて言うのは元来そんなものなのかも知れない。時風に流されず、ごくごく自然に当たり前に、かつ正直に過ごしているとそれが異端視される時代なれば抵抗は自然に躍起する。貧困が時代遅れや罪悪視され、そこに生きている人々も正当には評価されずに排除や隠蔽の対象とされる。僕らが感じるのはそんな醜い都市の底深い恐ろしさである。 橋をいくつも渡り、木場の駅まで来ると、その小さな公園には夏まつりの準備がされていた。本当に小さな街のまつり。おそらく、そこには、ビールと盆踊りしかないことだろう。もちろん、それはそれで良い。そんな、どこの町内会でもやっている小さなまつりがまつりの原形である。なんでもなさの中のほのぼのとした夏の憩いの場。
木場から深川に向かって歩くと、野宿のおっちゃんの姿もちらりほらりと見え始める。とぼとぼと三ッ目通りを北上するおっちゃんは、果たしてどこまで行っただろうか?深川公園で休むおっちゃんらは今頃どんな夢を見ているのだろうか?
庶民という概念の中に、貧者が正しくそしてなんとなく含まれる日を望みながら、夏の日のぶらぶら班は夕暮れの門前仲町の居酒屋でビールを飲み干す。
|