あんた、現実と錯覚って知ってる? たとえば、女がいるとするでしょ。自分のこと、女は好いてくれてるんじゃないか、とおもったりする。それが錯覚。はたからみると嫌われてるのに、自分では好かれてるとおもってる。そんな人が山谷には多いよ。楽天的というのかな、いや、それだけじゃなく被害妄想、誇大妄想がつよい。みんな、ああなっちまうんだ。
だから、山谷の人間は、みんな自分が主人公。自分が王様なんだよ。錯覚を信じ、その世界に生きてる。現実を見ることができない。現実を見てしまっては生きていけない。みんな、唯一の心の拠りどころを失うのがこわいんだ。
だいぶ前の話だけど、いろは(山谷の中心部にある「いろは商店街」)で喧嘩があってね。二人とも血が流れているのに、それでもまだ取っ組みあい殴りあってた。これ以上やったら死んじゃうとおもって、引き離そうとしたんだけど、くっついて離れない。それで近くの花屋のおばさんに「警察呼んで」って叫んだ。警官がやって来て、ようやく引き離すことができた。
山谷の喧嘩はこわいよ。自分の言い分を通すことに命かけるから。
生まれたのは沖縄の那覇。
沖縄は暮らしやすいけど、帰りたいとはおもわない。沖縄ってせまいから、自由がないんだ。自由のあるところに夢が生まれるわけでしょ。東京のほうがまだましだよ。だけど、山谷からもそろそろ出たい。金ができるとすぐ飲んじまうし、いつまでたっても変わらない生活がつづく。それでも、最近ふと、新しい世界がみえてきた。「王子と乞食」の話で、王子がみた乞食の世界、乞食がみた王子の世界のような。
中学一年のとき、夜の公園で、クラスの女の子と二人でブランコに乗っていた。そしたら、車が停まり、小学五年生ぐらいの男の子が降りてきて、「兄ちゃん、いっしょに乗らないか」って言う。運転してたのはその子だった。「おまえ、小学生のくせに何やってる」って、おもわずおれも聞きかえした。すると、「施設から抜け出してきた」って言うんだ。当時は、アメリカ兵とのあいだに生まれた子や、親のない子、貧しい家の子がたくさんいて、そういった子たちは施設に入れられてた。
その子は背中にピストルを差していた。本物だった。
おれは車に乗った。その子の運転ぶりには驚いたな。飛ばす飛ばす、百マイル(約百六十キロ)で突っ走る。道の所々にあるゲートートラックを簡単に通さないようにするためのゲートなんだけどー、その間だって猛スピードで通り抜けていく。街灯がぽつぽつ立つ暗い道を走り抜けていく感覚は、そうだな、頭の芯が痺れるようなかんじだった。夢のようだった。
それから、おれは不良になった。鍵をつけたまま停めてある車があれば片っ端から盗み、仲間といっしょに乗りまわすようになったんだ。
まだ沖縄が返還(一九七二年)される前だったから、黒人兵が吸うマリファナの匂いが街の飲み屋から漂ってくることもあった。覚醒剤だって売られてた。おなじ中学の女の子のなかには、夜、バーで働いているのもいた。べつに貧しくて働いているわけじゃない。両親だって揃ってるけど、黙認してるんだ。バーで働いているその女の子は、おれよりも一つ学年が上だった。授業中、彼女は教室にはいってきて、おれに「今日、店へ来てよ。ただで飲ませてあげる」なんて言う。彼女は番長だったから、先生もなにも言わない。
盗難車を乗りまわすようになって、毎日が楽しくなった。沖縄で暴れまわった中学時代は楽しかった。
おれはいま、乞食をやってる。
堕ちるたびに気づく。それはただ一つ、なんておれは馬鹿だったんだろう、ということだ。
ここ(山谷)ではね、金のことにしたってびっくりすることが沢山ある。かりに、人に二万円貸したとする。あとになって、返してくれと言うと、因縁つけるのかって、逆に二万脅しとられちゃう。けっきょく四万とられちゃうんだ。おれなんか、金貸した人間にナイフを突きつけられたこともある。世間の常識とは百八十度ちがうでしょ。発想がまったく逆なんだ。
雨のなか、道ばたで酒を酌み交わしている連中がいたから、ビニール傘をやったら、「それよりも金を寄こせ」って、殴られそうになったことがある。中国人の女に花を贈ったら、「それよりも飲み代払って」って、ゴミ箱に捨てられたこともある。
そうして、いつからか、おれは金に全然こだわらなくなった。自分の金すらないのに、人には遣ったりするようになった。自分のこと、最低の人間だとおもうようになって、こだわりが少なくなったんだ。
山谷を経験することが、はたして良いことなのか、悪いことなのか。おれは山谷で変わった。だれだって変わるもんなんだ。だけど、たいていは悪いほうへ変わっていく気がする。(ハンバーガーのファーストフード店を指して)この店みたいに、金でどんどん変わっちゃうから。
人間にとっていちばん大切なもの。おれは、感性じゃないかとおもう。その次が知性。ほんとうにそうおもう。山谷の連中に聞くと、十人中十人がこう答えるよ。金よりも大切なものがあるよね、思いやりのほうが大切だよね、って。だけど、現実には、金のほうを大切にしている者が多い。
山谷に来てよかったとおもうところ? 何億も脱税しヤクザみたいだった自分から、変わることができたところだよ。
ここに糞が落ちてるとするでしょ。科学は、いくら発達したとはいえ、糞を宝石に変えることはできない。だけど、宗教や芸術は、糞を宝石に変えることができる。ほんとうだよ。ボードレールっていう詩人がね、こんなことを言ってる。あなたが私に吐きつけた唾を、私は宝石に変えることができる、って。科学もすごいけど、芸術や宗教もすごいもんなんだ。こわいもんなんだ。人間の発想を逆にする。その人の目に映る世界を変えてしまう。
(ここで丸山は、手にした割り箸を顔の高さまでもってきて説明する)
百八十度回転させると、上と下が逆になるでしょ。山谷は、天と地が逆さまになっている街。なんでそうなるのか、なんでここにおれが住んでいるのか、わからなくなってしまいそう。
それで、もう一回百八十度まわしていけば元にもどる。こうやって発想をすこしずつ変えながら、それを繰りかえし……
(風車のように箸をゆっくりまわしながら、胸元まで下ろしたり、頭上まで上げたりする)
……固定観念を変えていかないと、いまの自分からなかなか脱けだせないんだよ。
まわりながら、(箸の)色は変わっていくのさ。
悪魔は灰色。三百六十度まわって、この高さまでくると、これが白い天使。悪魔は、自分がかわいい、だから人を殺す。天使も、自分がかわいい、だけど人に夢をあたえる。ヤクザな悪魔は、人に夢をあたえるふりをする。けれど決して天使にはなれない。天使のレベルには上がれない。
べつの次元に、黒い乞食がいる。(箸先が)下をむいてるでしょ。悪魔や天使とは逆だ。乞食が、三百六十度まわりながら上へのぼると、赤い革命家になる。この革命家が百八十度まわりながら次元を移ると、(箸先が)上をむき、天使になる。
おれはむかし、きっと悪魔だったんだとおもう。天使には直接なれないけど、乞食にはなれた。乞食は、革命家になれる。革命家は、天使になれる。おれが天使になるためには、いちど乞食にならなきゃいけなかった。
炊き出しに並ぶ人たちにもいろいろいてね。おれが炊き出しを手伝ってると、なかには「みっともないことするな」とか「そんなことしてたらカマ掘られるぞ」なんて言ってくるのもいる。炊き出しを手伝うと、いいおかずのついた飯を食わせてもらえるから、「どうせそれを期待してやってるんだろう」とでも言いたいんだろう。「偽善行為だ」って言われたこともあったよ。だから言いかえしてやった。「いつおれが善人ぶった。おれは悪人だと、いつも公言してるじゃないか」って。
事実、おれは悪いことばかりしてる。
モガキって知ってるでしょ。酔っぱらって道ばたで眠ってるやつから財布を抜くことだよ。野宿者同士でやるんだ。やられるやつは、何度でもやられる。酒を飲んじゃアオカンして、もう頭が、感性が死んじゃってるから、だれに抜かれているのか何時までたってもわからない。身近なやつにやられる場合が多いんだけどね。おれはモガキはしないけど、モガキをしたやつから金をまきあげたりはする。うしろから追っかけていって、「ねえ、ちょっと分けてよ」ってね。
そういう場面に、不思議とよく出くわすんだ。
モガキをされる男や、飲み屋の中国人の娘に十万円もチップをやる男。彼らは、懲りずに、死ぬまでおなじことを繰りかえす。「あんた騙されてるんだよ」って教えても、聞く耳なんかもっていないんだから。
おれはね、炊き出しの手伝いをしてるけど、たいして働いちゃいない。野菜を切ったり、窯に薪をくべたりする作業は、野宿者の仲間や支援の人たちが殺到してやるでしょ。だから、だまって立って見てる。人の仕事をよこどりするようなのが嫌なんだ。おれがやるのは、炊き出しが終わったあとの道路の掃除とか便所の掃除。人があまりやらない仕事、やりたがらない仕事だね。そういったものは、むこうから自然にやってくる。
立って見てるだけじゃ悪いな、なにか優しいことをしたいな、そんな気持ちはもってるのさ。
隅田川に飛び込んで死んだ南さんが、こんなことを言っていた。「肉体労働をしていると、失われていくもののほうが、あまりにも大きい」って。日雇いできつい仕事をしたあとは、つい酒を飲んでしまう。そんな日々を送っているうちに、勉強してきた文学の蓄積が消えていってしまう、ということを言いたかったんだとおもう。
南さんの遺骨を受けとりに、お姉さんが上京してきてね。彼女が警察でみせられた報告書には、「ルンペン生活をしていて、過って川に落ちて死亡」と書かれてたらしい。それでおれ、お姉さんに会って話したの。「違うんですよ。南さんは、偉い人の作品をたくさん読んで、自分でも書こうとしたんだけど、それができなくなって川に飛び込んだんですよ」って。お姉さんは、「その話を聞けてよかったです。ありがとうございました」と言った。
酒ばかり飲んでいた南さんは、意志が弱かったのかもかもしれない。だけど、おれはね、意志は弱いほうがいいんじゃないかともおもう。うまく言えないけど、意志は人をしばってしまうでしょ。努力とか忍耐、強い意志とかは、おれにとっては当面の敵なんだよ。
(いつまで山谷での生活を続けるのかという問いに)
わからないなあ。
中学を卒業するとヤクザとつき合いはじめ、二十歳のときに集団就職でこちらに出てきた。神奈川の運送会社だった。そのあと株をやり、ずいぶん儲けた時期もある。東京や埼玉で、いろんな店を経営した。クラブ、弁当屋、おにぎり屋。金は余るほどあったから、バイクを乗りまわし、北海道、九州と、ひとりでよくツーリングにも行ったな。ふらりと気ままに出たときもあれば、飲み屋で知り合った女に会いにいくときもあった。
二百キロちかく出して、知らない道を走ってると、カーブに差しかかったときに先が読めない。どのていどのカーブなのかわからないまま、体ごとバイクを傾けて曲がっていく。そのときはひたすら必死だよ。快感なんてありゃしない。後悔もしていない。スピード狂だから、自然とそうなっちまう。おれ、すこし狂ってるんだとおもう。
カーブを脱けてから、急にこわくなる。ああ、よく曲がりきったな、って。あとになって、いつもそうおもうんだ。
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