<目次>

路上の騎手            富士森 和行
ゆうぐれ他            鈴木 克彦
エロスの廃園           望月 大成
山谷とホームレス         浮草
ウグイス             五林 修
詩四編「花火」ほか        土屋 太
「ろじゅく」への希望       矢田 道夫
陽だまり17           秋戸 空
詩二編「怨らめしい」他      田仁多 憲治
ショートショート         AS・デービット
松島遊覧             弓削 鴻介
俳句など             古川 昭一
入院日記2             KTさん
ポイステ戦争           瘧師 辰雄
望郷宇治             風来坊
川柳など             小一
旅立ち              只野 酔払
全国でお酒をやめる会       新城 秋男
最近思う事            アル中の宮
年と共に生きる          宗春
無題            名無しの権平の方々
無題               角本 輝幸
無題               Eさん他
湊町より             高橋 美香
東京路上ふらり散歩        文・笠井 和明
「東京タワー」          写真・岡田  知子
ぼくわたしらはみんな生きている  恩田 美代子
支援者に告ぐに反論        田中
編集部への手紙          渋谷区在住Kさん
Kさん、田中さんへ        恩田 美代子
はり師いが丸の肝心かなめ     はり師いが丸
編集後記

表紙写真             中谷 美穂
文中写真             岡田 知子


旅立ち 只野酔払

 たしか、あのころは、楽しいとき、悲しいとき、厭なとき、困ったとき、嬉しいとき、淋しいとき、全て酒でした。毎日毎日、行く着く所は酒でした。頭全部、体全体が酒、酒、酒なのです。この行動は現実からの逃避です。自覚があるかないかは別にして、いつ死んでもいい。死ぬ事なんか恐くないのです。生きるという事に消極的であり、自己否定なのです。自殺行為なのです。あのころ仕事に打ち込む姿は一生懸命に生きているかに見えた、あるいは思えただけなのです。たしかに職場の給与の他、退職するまで囲碁のインストラクターとして、月々、数万からの副収入がありました。この事もいけないことでした。親分肌のところがあって金払いも良く、いつも俺について来いでした。多くの人達との交流がありましたが。その交際はいつも酒、酒、酒になっていました。しかし、このような交際は本物の友情ではありません。私自身がいつの日か、借金まみれになり、裸になった時、誰一人として助けてくれる人はありませんでした。それより皆んな私から遠ざかって行きました。だからといってその人達にどうのこうのと思う気持はありません。その意味で私は、広い心を持っていたし、許容力が大きかったのです。私は救われました。一番の長所だと思っています。生まれてこのかた、他人ともめたり、ケンカ等した事はありません。これからの私の生き方の柱になっていく良い点でしょう。
 私は四月二十六日、ゴールデンウィークの前に入院しました。それから四カ月半、日数にして百三十八泊百三十九日になるわけですが、六月の初めころまでは、私の行動はプログラム通りで、残った時間は全て読書でした。ペンを走らせた時も多くありました。AAに出掛ける事もなく、ただひたすらその事に没頭していました。AAの初めはH会場でした。行ってみてがっかりしました。私の肌に合わないばかりか、鳥肌が立ったのです。もう二度とはこの会場には行くまいと思いました。二度目のM教会は、まあまあと思い五度、六度と通いました。同じグループのHクラブにも同時に通いました。
 今でもどうしてなのかわかりません。六月の二十日も過ぎたころと思います。突然の事なのです。ペンを握る私の右手が自然にAAの申し込み用紙に書き込むのです。それも月火水木金土日と毎日書き込むのです。会場の地図を見つめ、交通機関を調べ、看護士さん、看護婦さんに聞き、AAに通っている人達に聞き、いつの間にか多くの方々と話しをしている私がいたのです。七月二十六日、忘れもしない盆踊りの日、ただ手と足を動かしただけの踊り、武蔵国府太鼓の音、終演のナイヤガラの滝。怒濤のごとく流れる滝のように私はAAに通いました。通い続けました。とにかく暑い中をくる日もくる日もAAなのです。雨の日も、風の日もAAなのです。雨といえば不思議でした。通い始めて十日程は梅雨時の事もあって、カサを持って出ていたのですが、いつの日か私の歩く所、歩いている時、雨が止むのです。一緒に他の会場に行った方は何度か雨に降られています。私にカサは不要になりました。まあ、たまたまそうなったのですが。「ハイヤーパワーだよ」とさりげなく口走っていました。
 私の後に入院された方の多くが私より早く退院していく中で、取り残されたかのように見える私ですが、日に日に力が湧いて、力をつけてきています。入院したころの私は屍でした。何の気力もなく、体力もなく、無い無い無いのないないづくしでした。両肩が痛くバットを振れない事以外は、体調もすこぶる良く、間食なしの病院食のみで、入院してから今日まで、ぴったり六十Lを維持しています。睡眠薬も止めました。眠られるようになりました。酒なしで眠れるなんて、紳士のように眠れるなんて思いもよらなかった事です。モナリザの微笑の人生が幕を開けたのです。
 哲学の授業のなかで「人生は何故生きているのか、ではなく、いかに生きるか」だと教わりました。退院と同時に私は大どろぼうになるでしょう。病院で培った「生きる」ことの喜び、執念、生き涯を盗むでしょう。私は生きられそうです。まだまだ、太陽が雲に見え隠れしていて、はっきりは見透せはしないのですが、明かるい日差しが見えてきました。AAに通い続けること、飲まない一日を永く続けることを生涯の日暇として生きて行きます。
 入院中の八月四日に誕生日を迎えました。それから五百字前後にまとめて日記を今日まで付けています。いつも三日坊主だったのに、日々棚卸しを続けています。
 アルコールは巧妙で、不可解で、強力なものです。助けなしでは手に余るものなのです。飲まない一日を永く続ける知と力を捜し求めて私は退院します。私は旅立ちます。
 軽快退院万歳。

 *AA-自助グループ。アルコホーリクス・アノニマスの略で、経験と力と希望を分かち合って共通する問題を解決し、ほかの人たちもアルコホリズムから回復するように手助けしたいとする集まり。共同体。目的は、飲まないで生きていくこと、と、ほかのアルコホーリクも飲まない生き方を達成する手助けをする。


山谷とホームレス・雑感

 私が初めてここ、山谷に来てから早くも三年近い。山谷に来る人々、ここで生活の基盤を築く人たち。きちんと仕事を持ち、簡易宿舎ながら一般社会人と何ら変わらない生活を営なんでいる人たち。
一方で、私のように仕事もなく、一切の生活保護、福祉の保証もない、文字通りのホームレスにとって、山谷のような所はなくてはならない場所である。ここを起点に、ホームレスにとっては近隣のボランティア団体のお世話に授かる訳だ。
 山谷には様々な人がいる。同じホームレスにも傲岸不逞、どこまでも身勝手な奴。長い野宿生活での疲弊が赤く濁った目、懐疑的な目付に変えてしまったのだろうか。
 それでも、なにかの拍子に目礼・会釈などを交わした際、一瞬ポッと、恥じらいを帯びた笑顔を見せる時がある。

山で出会った人たち。
 Aさんー。Aさんとは八月の末、ちょっとしたきっかけで知り合った。還暦近いAさんは、私の現在の悩み事にふれ、あれこれ指図し、福祉の事でも直接福祉センターに赴き、取り計らおうとして下さった。
 だが、私のような個人主義者(悪く言えばエゴイスト)にとって、他人が自分の内面まで入り込むことを許さない。Aさんには、ほんとうに悪いと思いながらも、丁重にお断りした。しかし敬虔なクリスチャンでもあるAさんの純粋な心遣いは、ほんとうに嬉しかった。
 Bさんー。Bさんの場合もフトしたことからお付合がはじまった。Bさんは山谷を中心にボランティア活動をしておられるが、たまたま日曜日、福祉センター前での炊き出しに参加してみないか、と誘れたのである。私は一瞬ためらったが、私にでも出来ることならやってみようと思い承知したのである。
炊き出しの準備は午後一時頃から始まる。先ずセルロイドのたらいで米を研ぎ、その米を洗った巨大な釜に移す。傍で野菜、(ニンジン・カボチャ・タマネギ・ピーマン・長ネギ)等。ありったけのものを包丁できざみこれも釜に入れ、さらにリーダー格の人が一握りほどの塩をふって、水道の蛇口からホースで水を足し、水加減を測る。これで、ほぼ下ごしらえは終り、あとは釜をドラム缶でできたカマドの火をかけるのみ。一ダース余りの釜とカマドが横に整然と並んだ様はなかなかに壮観である。
 私は初めのうち、自分は何を手伝っていいのやら解らず、しばらくボケッと見学をさせてもらったのだがカマドの火入れのとき、ちょっとした発見があった。薪はパレットをバラした角材が主だが、やみくもに角材を入れても火は起きない。角材と角材の間に空間をつくらなければならない。角材と角材が重なり合ったままだと、その間に空気が通らないので角材はほとんど燃えない。ヘタをすれば勢い火を止めかねない。
 三十度を越える厳しい残暑の中、火を焚くのだから汗がドッと吹き出る。ボランティアの人達の半数近くが自分と同じくホームレス仲間であることに、なんとなく心安らぐものがあった。
 炊き上がった御飯を白いポリの容器に盛り、参列者に配り、一通りの仕事を終え、それから後片付けの後、ボランティア団体の事務所(というより、小さなホール)でボランティア仲間全員の食事会が始まった。先ほど炊いた御飯の上に、アンかけ風野菜炒め、言ってみれば中華丼のようなもの、それにソーメンの汁がけ、かけソーメンとでも言おうか。 久し振りに体を動かし汗をかいたせいか、料理はほんとうにうまかった。私は二度おかわりをしてしまった。
 日も暮れて、帰りがけにBさんにビールをごちそうになって別れたが、心地よい疲労感と清々しい気分がいつまでも残った。
 Cさんー。Cさんは、ホームレスではなく職安で仕事を斡旋してもらう、いわゆる日雇労働者である。俳句をたしなみ、同人誌にも投稿し、俳号も持つ。Cさんとはある人を介して知り合ったのだが、私より四つほど年下で、四十半ばである。理知的なマスクに風体はここ山谷では見かけないタイプである。Cさんの作品は主に<労働>を詠ったものが多いが、もちろん写生句もある。Cさんに勧められて私も句を詠んでみたのだが、所詮凡人んお付け焼刃、左の句がそれである。当然Cさんの添削が入る

年明けて晴着の乙女香水の匂ふ
ホームレス自嘲の酒梅の下
梅冷えの夢は破れて場末酒
炊き出しに待ちくたびれて寒くとも
花は蕾愛でるともなく酒かかえ
隅田川桜きらきら春うらら
隅田川行き交う舟にも花も舞う

 ホームレスが普通の人々の生活の枠組の中からはずれて、言わばドロップアウトして行く過程には様々な事情があろう。だが私は、自分がドロップアウトしてしまったことを、社会の所為、他人の所為にはしたくない。虚勢を張る訳でもなく、正義漢振るつもりもない。冷静に考えてみれば、それはやはり、自分自身の内面の弱さにあったのだと、しみじみ思うのである。
 浮草のように自からの舵をもたず、ながされるままに浮世を徘徊、浮浪しつつ、しかし、ーーーーーーしかし、いつか必ず人並の生活を、人生の基盤を築いていこうと密かに自分に誓うのは、恐らく全てのホームレス仲間の気持も同じではないだろうか。

秋雨に心も濡れて露宿かな