帆船への憧れ

  船を操船してみたい。もっと船や海のことを知りたいと思い始めたのはいつごろだろうか。命懸けで海を渡った大航海時代の航海者たち。その知恵や経験から生まれた航海機器の数々を使いこなし、電気や油ばかりに頼らず船を進める。そこにはジェット機や人工衛星の原点にもなった究極のテクノロジーが詰まっているのだろう。ある日、知人のNさんから「日本セイルトレーニング協会所有の帆船「海星」が一般向けの航海を行う。」と情報を聞き、さっそく申し込むことにした。
 
「船の操船を体験したいのなら、「海星」に乗るといい。」と以前誰かに聞いたことがある。航海番号JF−36、神奈川県三浦半島の三崎港から横浜港へ向かう99年最後の宿泊クルーズである。2泊3日の航海日程は、「最初にしては長過ぎないか。」と少し不安にも思えたが、よほど運命的なチャンスだったのだろう。運転免許の更新が迫っていたので、視力検査にひっかからないよう、じっくり遠くを眺めておく必要があったのだ。

  11月26日朝、三崎港へ向かうバスの中で、「海星」の姿が現れるのを待ちわびながら、フロントガラスに写る街の様子を見つめていた。車内では終着を告げる放送が流れているが、いまだ海も見えてこない。と次の瞬間、突然大きな漁港が目の前に開け、2本の高いマストが視界に入った。どうやら出港までに間に合ったようだ。岸壁にはすでに数名の練習生が集まっている。人数は18名と定員の約半分だが、平日なのに若者が多いので驚いた。コンピューター会社に勤めるOLや、主婦、庭師、自動車会社の社員、そして大学生・・・。普段は何の共通点もないメンバーだが、これから始まる航海では、同じ釜の飯を食う家族のような関係になる。参加した理由はさまざまだが、皆トレーニング船に対する期待と目的を持っている。何も体力トレーニングを希望する人ばかりではない。心のトレーニングをする為に参加した人もいた。積極的に物事に参加することが苦手なので、それを克服しようとする人。普段の生活でなかなか他人と会う機会が少なく、心が狭くなっている自分から開放されたいと参加した人。そして・・・・・。どうも病院では治せない大切なものが「海星」にはあるらしい。


欠航!

   いよいよ乗船の時間を迎える。見上げたマストから無数のロープがデッキに渡され、今や遅しと自分の役目を待っている。そのロープに手を掛けて、リーダーの指導のもと、さっそく展帆準備にとりかかった。ガスケットという紐を解いて、いつでも帆を張れる状態にする。一通りの作業が終了した後、昼食となった。出港は昼食の後だ。「海星」で初めて食べた食事はカキフライ。専任のコックが乗船しているが、ホテルのシェフをしていたとあって胃袋までうま味が伝わる。皆早々に平らげて満足そうな表情をしていた。次の食事は何だろう?船の周りには海の幸がいっぱい泳いでいるのだから、楽しみで仕方ない。

 再びデッキに出ると、先程とは少し違う光景になっている。何だか変だ。ほんの数十分の間に、防波堤には波頭が立ち始め、寄せ風が次第に強くなる。ひょっとして・・・と思った時には、先程解いたガスケットを元に戻す作業が始まっていた。「今日は欠航!」インストラクターの言葉に練習生はガックリ。海の表情は一瞬にして急変するものだ。自然相手ではスケジュール表通りとばかりにはいかない。厄介だが、それが本来普通なのだろう。

 幸先の悪い乗船となったが、夕食の海老フライをほおばり、夜は三崎の街へ繰り出して船出前の宴を催す。三崎にはまぐろ料理屋がある。サザエの壷焼きや、地魚の刺身と海の幸を楽しみながら、幸せな一時を過ごした。満腹!満腹!スケジュール変更もたまにはいいものだ。静かな三崎の街に、夜遅くまで賑わいを振りまきながら、初日の夜が更けていった。