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日本の帆船
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1.雨上がりの港と日本丸
1930年に神戸の川崎造船所で建造された初代日本丸が老朽化した為、1984年9月に浦賀の住友重機械工業で建造された新日本丸。総工費は68億円です。初代は英国技師による設計でしたが、今回は設計から製造まで全て国産。まさに日本を代表する帆船です。




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2.帆走する海星
1990年8月にポーランドで建造。翌年発足した日本セイルトレーニング協会が同船を買い取り、日本への航海に旅立ちました。船名は「海の惑星」をイメージして「海星」と命名。一般に広く乗船者を募集し、日本近海やアジアの海へ航海に出ます。船内での共同生活、共同作業を通じて、協調性や連帯感を学び、海と自然を肌で感じる事業を展開。2000年にはNPOの団体となり、現在もその活動を続けてます。

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3.あこがれと臨海副都心
帆船「あこがれ」もセイルトレーニングを目的として建造されました。こちらは海星と違い、母体は大阪市港湾局。1993年3月に浦賀の住友重機械工業で建造され、翌年から一般募集による体験航海プログラムがスタートしました。行政が行う事業なだけに、事故があってはいけないと、操舵室には最新の設備が整っています。



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4.パレード
1927年に英国の名造船所キャンパーアンドニコルソンで建造された木造大型ヨット。サー・ウィンストン・チャーチルやノーサンプトン侯爵、大船主C・ビルマイヤーも乗船した船で、1973年にイギリスから大西洋、パナマ運河、ガラパゴス、タヒチを経由する「ゴールデンパラダイス」コースを巡って日本に到着。現在は6代目の所有者となる日本の企業がオーナーになり、チャータークルーズ等に運航している。

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5.遣唐使船進水
今でも木造船の船大工が住む倉橋島で、その技術を後世に伝え、また、歴史的にも遣唐使船とゆかりのある同地の魅力を広く知ってもらおうと、1989年に遣唐使船の復元が行われました。1000年以上前の当時と同様、砂浜に船台を設置。進水式は浜辺で行われました。


 

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6.倉橋島の遣唐使船
当時の衣装に身を包んだ乗組員が櫓を漕いで船を走らせます。万葉の時代そのままです。船はその後、タグボートに曳かれて、大阪や神戸の港へ回航されました。現在は倉橋島にある「長門の造船歴史観」に保存されています。




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7.蘇るサンファンバウティスタ
咸臨丸が太平洋を横断する遥か昔の1613年、伊達政宗の命により一隻の帆船が建造され、支倉常長ら一行180余人がローマを目指します。目的はローマ法王に親書を送り、仙台領内でキリストの布教を許可する代わりに、イスパニア領だったメキシコと通商の許可を手に入れたい。と云ったものでした。結成された慶長使節団は、親書を無事ローマ法王に届ける大役を務めましたが、交易の許可が下りないまま7年後に日本へ帰国。しかし、幕府は禁教令を制定し、彼らの計画は果たせませんでした。

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8.ベイブリッジと海星
毎年横浜港で6月に開かれる「開港祭」。海上にステージを設置し、コンサートや船のパレードが催されます。写真は臨港パークの沖でドリフティング(錨を打たずに海上で漂泊する事)する海星とベイブリッジです。





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9.クリスマスイルミネーション
1930年に建造された初代日本丸。船体は鉄ですが、実はマスト(帆柱)の上の部分、黒く色を塗装してあるところはヒノキです。
写真はクリスマスイヴに撮影。クリスマスツリーに見立てたイルミネーションが印象的です。



 

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10.朝焼けの港と海王丸
初代日本丸と同じく、1930年に神戸の川崎重工で建造された「海王丸」。初の遠洋航海は南洋・トラック島へ。以後、春は北米大陸西岸諸港、秋は南洋群島方面へ練習航海を実施していました。しかし、太平洋戦争が勃発した為に遠洋航海を中断。輸送船として戦火を潜り抜け、戦後は再び練習帆船として復活を果たします。しかし、1989年老朽化に伴い引退。現在は富山の「海王丸パーク」に保存されています。
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