建築家 山口佳延 |
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YKギャラリー YKギャラリーにおいて作者山口佳延による京都・大和路等のスケッチが展示されています。但し不定期。 |
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YSビル建設計画の頃には建築CADはまだ一般的ではなかった。45度、60度の三角定規を自在に操りひたすら平行定規に向かっていた。 旧来の手描きの図面も又捨てがたい愛着がある。CADではモニターに映し出される画像には限界がある。その範囲でどんどん拡大すれば最終的に1:1の図面も瞬時にモシターに映し出される。 ただ全体を眺めやり、感慨に耽るには手描きの図面の方が好ましい、と思われる。 でも実施設計図においてはCADはその威力を遺憾なく発揮する。一度CADにのめり込んだ際にはその虜になってしまうだろう。 左図、YSビルアクソノメトリック図はそんな手描きの頃に作成した図である。デジタル化されていないため画像がぼけている。デジタルカメラ撮影の技術が未熟であるせいかもしれないが・・・・ |
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| YSビル | パリ文化センター |
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| YKビル | ひばりが丘高野ビル |
関連サイト |
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| 古都ー光と影 | |
| 京都ー光と影 | |
| メール |
| 経歴 |
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| 建築家・山口佳延は昭和41年早稲田大学建築学科を卒業、建築家。横山公男氏
に師事、建築の礎を学ぶ。その後山下設計に籍を移す。その間、宗教施設・放送
施設・共同住宅を始めとした建築設計を担当。 30歳を機に一念発起、単身インドを起点とし、シルク・ロードをバスで走破、イスタン ブール・北アフリカマグレブ三国を経てモロッコに遊んだ。 大義名分は一応、建築視察であったが実体はヒッピーのようで、中近東・マグレブ 地方の土着文化に触れた旅であった。 帰国後、建築設計事務所・創設計社 を設立し、現在に至る。折りに触れ、 ユーラシア大陸各地方のスケッチを整理・編集の時を持ち、吉祥寺YKギャラリーに おいて個展を開く。ここ2、3年、関西地方をお訪れることが多く、京都・奈良に関す るスケッチ並びに紀行文を認め、年2・3回発表の場を持つ。 |
工事名 |
概要説明 |
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YSビル |
私が学生時代、シカゴにワットタワーなる塔がそびえ立っていた。ワットなる職人がこつこつと一人で築き上げた塔であった。何の目的で塔を建てたのか謎である。 YSビルは設計から工事まで自力で建設した建物である。シカゴのワットには遠く及ばないがその精神のほんの細かい粒は覗いているように見える。 |
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パリ文化センター |
国際競技設計に応募した案である。この頃、時間さえあればいろいろな競技設計に挑戦していた。セーヌ川に面した三角地であるため緩い弧を描いた計画案となった。 劇場には大小色々な室が要求され頭はコンピューターのように駆巡った。 |
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YKビル |
吉祥寺駅から3分の好立地であるが、この地はまだ開発が遅れて木造家屋が立並んだ地域である。それも建設当初の事、今では道路を挟んだ対面に15階建てのマンションが立ち、建物に沿って遊歩道が整備されて見違えるような景観を呈している。 設計中、阪神大震災が発生し急遽設計変更し鉄骨鉄筋コンクリート造とした。 YKビル1階にYKギャラリーがそのガラスを光らせている。 |
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ひばりが丘
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設計中、ひばりヶ丘駅近辺には8階建てのビルはなく、最も高層のビルである、と建築主の友人は笑って言っていた。背後に住居地域を控えていた、日影規制をクリアーするためビルの背は斜めに羊羹を切ったような形態だ。 加えてビル背後は段々にセットバックした形である。 |
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